ゼロ戦21型A1-101 

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ちょっとマニアックの話になる。

Å1-101と胴体の赤帯1本と尾翼の黄色帯3本が気になった。
胴体の赤い帯1本とA1-は昭和16年当時の空母赤城の艦載機の
識別番号で、この機は赤城の飛行隊となる。尾翼の帯は3本だと
飛行隊長の識別となるはずで、ちなみにA1-102は真珠湾攻撃の
時の第二次攻撃隊制空隊隊長の進藤三郎大尉機となる。

真珠湾攻撃時の赤城の甲板にあるゼロ戦の画像の中にA1-101機の
画像があり、搭乗員はA1-102進藤大尉の2番機として木村一飛曹の
機として紹介されていた。進藤大尉の小隊の3番機はA1-105で
井石3飛曹機となっている。3番機のA1-105の尾翼は黄色1本で、
隊長機の進藤大尉のA1-102は尾翼の黄色帯は2本で紹介されている。

ちなみに進藤大尉の上官にあたる、第一次攻撃隊制空隊の隊長機は
板谷少佐機であり、尾翼の黄色帯は3本あるが、機種の番号は
A1-155となっていた。また板谷少佐の下で第一次攻撃隊に
参加されている第2小隊1番機の指宿大尉の尾翼は黄色帯2本で
A1-103。

赤城A1-101は赤城甲板上の画像でも確認できるので、間違えなく
存在していたし、飛行隊長が必ずも101に乗っている訳でもないので、
101に木村一飛曹が乗っていてもおかしくは無いと思われる。

赤城・制空隊飛行
隊 長 板谷少佐:尾翼3本黄色帯A1-155
中隊長 進藤大尉:尾翼2本黄色帯A1-102
中隊長 指宿大尉:尾翼2本黄色帯A1-103
3番機 井石3曹:尾翼1本黄色帯A1-105

以上から順当に考えれば
2番機 木村1曹:尾翼1本黄色帯A1-101
となる方が自然と思える。

ただA1-101が尾翼3本黄色帯と言うのがどうしても気になってしまった。

ただオリジナルの完全な形で飛行機が残っていたのではなく、あくまでも
オリジナルの飛行機の残骸を集めて復元した訳なので、機種とマークと
搭乗者を併せて復元できたのではないと思う。 ただ誤解されたくないのだが、
ケチを付けている訳ではない、良く復元して私たちに見せてくれたと感激している
のであって、それだけについ細かいところまで気になってしまうのも事実。

最初にお断りしたように、あくまでもマニアックな話であり、興奮しているのは
事実なんです。

ゼロ戦21型  河口湖飛行舘所蔵

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ゼロ戦21型  河口湖飛行舘所蔵

山梨県河口湖自動車博物館に併設されている
河口湖飛行舘は自動車博物館とともに8月のみの
公開で、今回どうしてもゼロ戦21型を見に
行きたかった。

しかしこの博物館のある富士スバルラインは
8月6日午前00:00より環境保護の為に
夏休み期間マイカー規制が入り、裏道からは
行けると思うが、スバルラインからだと少し
面倒になるようなので、午後からではあったが
急遽、行くことにした。

午後2時半の到着で館内は3~4人ぐらいの
見学者だったのでゼロ戦21型をしっかりと
堪能してきた。

彗星12型 靖国神社宝物博物館所蔵

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艦上爆撃機 彗星12型  (1988年5月1日撮影)  靖国神社宝物博物館所蔵

艦上爆撃機 彗星12型 2010年撮影

以前の展示スペースのほうが見やすかったが、屋外展示されていた
九七式中戦車や野砲を保存維持の観点から室内展示に切り替えた
ことにより展示スペースの問題で現在の状態になったようである。