江戸東京博物館

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■江戸時代・日本橋周辺
■江戸時代・日本橋周辺
■江戸時代・日本橋周辺
■江戸城全景
■江戸城天守
■江戸城天守・自家用車が素敵!!
■江戸時代・両国橋周辺
■江戸時代・両国橋周辺
■芝居小屋・吉原
■自由の女神似・・・?明治時代・浅草電気館
■明治時代・銀座赤レンガ街
■旧・銀座赤レンガ

江戸城大奥の御殿作りの参考にと思い、江戸東京博物館へ
行ってきました。 大変お勉強になりました。

イモリ

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判りづらいと思いますが
上の画像:アマミシリケンイモリ
下の画像:ニホンイモリ(アカハライモリ)

野鯉

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ひさしぶりに野鯉の入荷となりました。さて何処に入れようかと
迷った結果、ウグイの水槽に混泳して貰うことにしました。

最初だけ少しバタバタしてましたがすぐに慣れたのか仲良し
してくれてます。

046★佐賀城本丸御殿/復元城郭模型

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佐賀城はもともと龍造寺氏が居城としていた村中城を改修・拡張したものである。九州北部に覇を唱えていた龍造寺隆信は天正12年(1584年)に島津・有馬連合軍に敗れて戦死した。これを機に龍造寺家臣の鍋島直茂が実権を握った。

直茂は早くも、天正13年(1585年)には村中城改修を計画している。しかし未だ当主であった龍造寺政家の居城であり、直茂は蓮池城が居城であったため、主家に憚って計画には手を付けなかった。計画が実現したのは江戸幕府政権下で正当に佐賀藩主として認められた後の、慶長7年(1602年)本丸の改修を始めてからである。直茂の計画に則り、次の藩主鍋島勝茂が慶長16年(1611年)に完成させた。内堀の幅は80mにも及ぶ広壮なもので、5層の天守も建造された。また、元和の一国一城令でかつての居城蓮池城は破却された。

城は幾度も火災に見舞われた。特に享保11年(1726年)には大火に見舞われ、天守以下本丸建造物の大半を焼失した。これにより御殿などが享保13年(1728年)に二の丸に完成し、藩政は二の丸を中心に行われた。更に天保6年(1835年)の火災では二の丸を焼失。これにより再び本丸再建が行われ政務は本丸に移った。現存する鯱の門・続櫓はこの再建時の天保9年(1838年)に完成したものである。同時に立てられた本丸御殿は、明治維新以後、裁判所や学校として利用された。なお、天守は享保の火災以後再建されていない。
(フリー百科事典より)

アユカケ

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アユカケです。

カジカ、クチボソ、メダカと混泳飼育をしてましたが、
同じ魚食魚のカジカまで食べていたので疎開させました。

疎開させたアユカケは短期間で入荷時より一回り以上
大きくなってました。