052★福岡城・幻の天守閣

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通称 舞鶴城、石城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 黒田長政
築城年 1601年
主な改修者 黒田長溥
主な城主 黒田氏
廃城年 1871年
遺構 櫓4棟・門3棟、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財(多聞櫓・二の丸南隅櫓)
国の史跡
福岡県文化財(潮見櫓・大手門・
祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門)
福岡市文化財(名島門)
再建造物 二の丸北隅櫓、大手門

慶長5年(1600年)黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、一躍筑前一国52万3千石を得て名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵(現在の舞鶴公園・福岡城跡)を新城候補地に選定した。慶長6年(1601年)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607年)に竣工した。

江戸期に数度の改修が行われたが、特に幕末の嘉永・万延年間に大改修が行われた。

福岡城は福岡市の中心部に位置する梯郭式平山城である。普請奉行は野口佐助一成である。城地とされた福崎丘陵(那珂郡警固村福崎)は、博多と那珂川を挟んだ西側にある。主に、本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、47の櫓を配し縄張りの範囲は約25万平方メートルに及ぶ。東側に那珂川を以って堀とし、また西側の干潟「草ヶ江」を大堀として活用した。この大堀は現在大濠公園として整備されている。城下町は城の北側(博多湾側)に開かれた。

築城の際に、福崎を黒田家再興の地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めている。

熊本の加藤清正もこの城を評価している。特に一成が指揮した石垣から、別名「石城」とも呼ばれる。

現在、城跡には門・櫓が現存し、多聞櫓とそれに続く二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、潮見櫓・大手門・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、多聞櫓に続く二の丸北隅櫓が復元されている。

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